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正門付近 (出汐時代)                                     母校散策

復元された旧校門
学校のシンボルである正門は、大正元年学校が千田町に移転した時に作られたものです。昭和20年の終戦まではその姿は職員・生徒の誇りとなっていました。終戦によりその姿を目にすることがなかった。その後も再建されることもなく時が流れた。
昭和28年〜現在の出汐町に学校が移転したが、この正門は復元することもなかった。
昭和36年加藤校長・教職員の発案により、写真等を参考にしながら門柱(石)以外を教職員と生徒の手によって再建しました。

平成22年2月、田口校長先生及び桑野先生(機械科)の強力な指導のもとに、当時の写真を参考にしながら、門柱の上にある門飾り(青銅製)を生徒の手で鋳造・溶接等の加工をして設置いたしました。
また、平成23年12月には、副門柱の上にある”かざり石”が要源(69回卒)氏のご協力により設置されました。これをもって旧正門は元の姿に完全に復元されたことになります。 第114回卒業生(平成24年3月)は、この門を通って卒業いたしました。
堂々たるその姿に学校を訪れる多くの方々の目を引いています。
卒業生の皆さんも、一度はご覧になってください。
平成27年3月 旧体育館が解体されました。 現在の正門です。 

  門札の設置



卒業生の皆さんが、よく使用していた校門の学校名が、昭和40年代のものでありましたが。
現在の正式な学校名を写真のように青銅製で立派なものに作り変えられました。

書は元母校の建築科の先生である北谷繁行(書道家)氏によるものです。
田口校長先生の強力な指導のもとに、機械科職員と生徒の手で鋳造から設置まで一貫して製作されたものです。
完成は、平成24年1月20日でした。

昭和36年正門横に広島工業高等学校に学んだ、教職員・生徒の御霊をまつる慰霊碑が建立されました。
千田町にあった慰霊碑を移転し、また、原爆でなくなられた多くの生徒の御霊がまつられています。

   
通用門を入ると正面に、創立100周年を記念して”創意”という記念碑が建っています。そしてその後ろには、昭和39年に建てられた体育館があり、続いて母校の本館があります。  平成27年3月旧体育館が、老朽化と耐震基準不備のため解体されました。現在の通用門と跡地です。 


   国道から学校の専用通学路に入ると目前に大きな3本の楠木が目に入ります。、
通学するときに必ずこの木の下をとおって通ったものです。思い出深いこの木は昭和20年の被爆楠木です。現在も元気な姿を我々に見せてくれます。

この楠木が何故ここにあるのか・・・・平成28年4月から、皆実高等学校の同総会員(濱永映一)氏と、調査してみました。郷土資料館・広島陸軍被服支廠配置図(昭和20年米軍の航空写真)や故橋本秀夫(母校建築科教師)先生の、見取り図などから推測すると、広島陸軍被服支廠に設置された神社の一部の楠木ではないだろうかと思われます。
樹齢も約100年余りと聞きますから被服支廠建設時期とほぼ一致しているなど・・・・。
なお、詳しいことは創立120年の同窓会報特集号に航空写真や橋本先生の調査見取り図などを掲載したいと思っています。